エルトン・ジョン

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エルトン・ジョンについて

出典youtu.be

レジナルド・ドゥワイト少年(エルトンの本名)

4歳からピアノを習い始め、その天才的な資質に目覚め始めた頃。
父は空軍トランペットの奏者であったが、レジ少年の才能を理解しなかったという。

子供の頃、音楽は僕を救ってくれた。両親が口論しているときも、僕は部屋に閉じこもってラジオとかレコードを聴いていたんだ。音楽を聴いていると、落ち着くことも興奮もできる。思い出に浸ることも、悲しくも幸せになるんだ。

出典レコード・コレクターズ1997年10月号

 

デビュー当時のエルトン・ジョン(左)とバーニー・トーピン(右)

曲が売れず、まだ下積み時代だったころの一枚。

エルトンの曲は、ほとんどバーニーが歌詞を書いていた。
大スターになったエルトンに対し、自分の扱いが影の存在であることに耐えられなくなったバーニーは、アメリカへ去った。のちに和解し、現在も共同で創作活動をしている。

初めてディック・ジェイムスと契約を交わした時、バーニーと僕は音楽紙の広告を通して知り合ったばかりで、僕はロング・ジョン・ボールドリーのバック・バンド、ブルーソロジーを離れたばかりだった。

27歳のエルトン・ジョンと34歳のジョン・レノン

ジョンのシングル「真夜中を突っ走れ」がビルボードチャート1位になったら、エルトンのライヴに出演することを約束し、実現した頃。

ちなみにジョンの息子ショーンの名付け親がエルトン。

 

出典youtu.be

Elton John - Interview with Mike Douglas in Central Park during November of 1977

一躍大スターとなったエルトンだったが、曲が流行遅れになってしまい、凋落し始めたころのインタビュー映像。
どことなく疲れた表情で語る。

1976年の終わり頃には、全てがあまりにも大きくなっていて、ピークに達しているのも分かっていて、トップにいる間に抜け出したかった。『Blue Moves』が出て、そしてあまり上手くいかなかった。そして僕はとにかく疲れ切っていた。

出典エルトン・ジョンの発言20選

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Me エルトン・ジョン自伝

動画(You Tube)

インターネットがここまで普及したおかげで、無料でたくさんの動画(しかも公式)を鑑賞できるのに感動しました。昔はビデオテープ探すだけでも大変で、入手も難しかったですし、とても高価でした。
紹介している以外にもたくさん公開されています。

 







公式サイト

日本ではあまり人気がないためか、昔は写真集すらなかったのに……。でも今は、神サイトがあるのを知って泣けた。


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