アガサ・クリスティー自伝


アガサ・クリスティー自伝〈上〉 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

これはすごかった。何がすごかったかというと、自伝なのにとんでもないほど濃密な当時の描写があったこと。もっと早く読んでおけばよかった。
アガサ・クリスティファンにはたまらないだろう、彼女のことがたくさん書かれています。私は作品をいくつか読んだぐらいなので、ファンとはまた異なった感想になると思いますが、その点はご容赦を。

ミステリーの女王として知られているぐらいだから、もっと早くから作家を志していたとの予想はちがっていました。上巻のおわりごろになってようやく、探偵小説を書いてみようと挑戦するくだりがあるほど。その当時は第一次世界大戦で、アガサは篤志看護隊員として、トーキーの病院に勤務しています。20代のなかばのそのときですら、刺繍に代わる趣味としての感覚だったというんだから、びっくり。
面白いことに、美人で器用な姉のマッジがさきに作家デビューしています。短編小説が新聞や雑誌に何度か掲載されるも、あくまでも趣味だから、結婚して主婦になったら何も書いていません。それが当時の常識だったのかもしれませんね。

そしてアガサは結婚、出産するも、電撃的結婚をした夫のアーチーが除隊をして、貧窮しそうになったことで、ふたたび筆をとることに。出版された処女作「スタイルズ荘の怪事件」は、いくつもの出版社に投稿しても断られたといういきさつもあって、ようやく本にしてくれるもたった25ポンド。そのときも作家になるつもりはないとありました。あくまでも趣味のひとつ。
お金に困るたびにアガサは小説を書いていて、ついに離婚が決定的になったとき、やっと作家として生きていくことに決めたのです。生きるために。

離婚のくだりは気の毒というか、アーチーの言い分もなんだかなあ、と。「病気とか不幸がきらいだからと僕は言ったろう」って、子供か、きみは(苦笑)と突っ込みたくなった。ちょうどその前後、アガサは売名行為として非難された、失踪事件を起こしています。が、そのことにはいっさい触れられていません。だから、本当はもっといろいろあったのかもしれませんし、どうしても書きたくなかったのかな。(解説で、夫が殺したんじゃないかと、マスコミに騒がれたとあったので、もしかしたら妻が有名になっていくのに耐えられなかったのかと推察。それだけ彼は普通の人でもあった)

自伝とも思えないほどにまた幸運がやってきて、その二年後には考古学者のマックスと再婚します。一回り以上も年下の夫ですが、とっても大人でおだやかな人。晩年も仲睦まじかったのがとっても幸せそうでした。

全体を通して思ったのは、最初の結婚が満ち足りていたら、作家アガサ・クリスティは誕生していなかったということ。社交界へ出たころに、幾人もの紳士や軍人から求婚されたほど、彼女は美しくて、そのなかには裕福で母親も公認の婚約者もいたんですから、人生なにがどうなるのかわかりません。
まさに作家になるために生まれてきたような人生の自伝でした。

上巻にたっぷり書かれた少女時代、生家アッシュフィールドの描写がとても細かったです。作品では描写があまりない作家だから、自伝ももっと簡素な文章かと思っていたのに、まったくちがっています。
20世紀初頭はまだまだ前世紀であるヴィクトリア朝の名残がたっぷりあって、家だけでなく使用人や、中流階級のひとびとの交流、旅行なども書かれています。
アガサの実家は裕福とはいえず、使用人も三人だけ。もう少しお金がある家は、従僕や執事を雇うのが普通とありました。あと語学の家庭教師として連れてこられたフランス人女性のおかげで、フランス語が堪能になったり(ポアロがベルギー人なのもそのため)、幼い頃の静養旅行がきっかけで好奇心旺盛になったりと、作家になる要素が少女時代に垣間見られます。
タクシーが登場するようになる1910年ごろ、辻馬車を呼び止めるのに玄関でホイッスル一度鳴らすのも時代を感じました。ちなみにタクシーは三度。当時娯楽のひとつだった競馬のことも書かれています。家庭料理に関しても描写が細かい。

というわけで、とくに上巻は資料としてもかなり重宝しそうです。
上下巻。

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