ヘリオット先生奮戦記


ヘリオット先生奮戦記 上 (ハヤカワ文庫 NF 76)

実在したある獣医さんの回想録。本名かと思ったら姓はペンネームでした。ちょっと脚色あるのかな、と思ったほどとっても面白い奮闘記。どうしてあまり知られていないのか。たくさんの人にぜひ読んで欲しい作品です!

ムツゴロウさんのようなほのぼの~とした中味かと思いきや、獣医さんてとってもタフじゃないと勤まらない職業なんですね。都会ならば犬猫等のペットだからひどく危険な診察はないけど、田舎だと患者ならぬ蓄患が牛や馬ばかり。時折羊。もちろんペットの犬猫も診察しています。
1930年代当時はまだまだ医療技術も発達し始めたころで、手術も小屋や野原ですませてしまいます。あれやこれやと奮闘する姿がたくさん。

一番多かった話が、牛の難産。逆子を引っ張り出すために上半身裸になって、手を突っ込むのは当り前。真冬の深夜だろうが、電話で呼ばれたらおんぼろ自動車(一日に一回はパンクするという代物。当時は道も悪く、車のタイヤも丈夫ではなかったから)でかけつけるんだからとってもハードです。もちろん休みも殆どなし。
診察なんて牛や馬に蹴られて、ひどいときは打撲になって寝込むほど。まさしく命がけ! ミスをして落ち込むこともあるんだけど、すぐに前向きに立ち直るんだから精神もタフ。
でもぱっと見は、真面目でおっとりした好青年というギャップもたまりません。助手として就職した当初は、村人になめられてばかりだったほど(笑)
あと獣医科大学を卒業したばかりの新米なのに、素質があったのか、めきめきと一人前の医師になっていくのもすごすぎ。雇い主である同じく獣医のファーノン先生はやり手なんだけど、その弟の同じく獣医の卵のトリスタンが使えないんだから、その差は歴然です。

そんな大変な日々なのに、ヘリオット先生の回想録はユーモアたっぷりなのがすばらしい。そのなかで印象に残ったエピソードを紹介。

犬のチンのトリッキー。飼い主が有閑マダムそのもので、贅沢三昧な生活を送っているために、肥満と病気に苛まれることに。それをマダムは栄養が足りないんだわ、と高級なお肉やケーキを与えるんだから、さらに症状が重くなって、ついにたまりかねたヘリオット先生は病院である自宅へ強制的に連れ帰ることに。そしたらあっという間に犬らしくなって、元気に駈けずりまわって回復するのがおかしすぎ。当時も過保護な飼い主がいたんだな、と驚きもしたけど。マダムは犬だけでは満足しなかったのか、今度は豚まで飼いだしてそれが凶暴になるのも笑えました。そのトリッキーのおかげで、先生は贅沢のおこぼれにあずかったのもおかしかった、という。人間、食欲には叶わない(笑)

深夜に電話で起こされた先生。疲れて面倒だったからパジャマのまま往診へ。そのまますぐに戻るつもりだったのに、予想外に難儀してしまって明け方に車で帰宅。途中、空腹に耐えられず、ドライブインのレストランに入って注文したのはいいけど、パジャマだったものだから無銭飲食をしそうに。あとで支払うと言っても、姿が縞々パジャマ。脱走した囚人にまちがえられそうになって、逃げるように帰ったのが笑えました。今だったらパジャマでもあまり怪しまれない(?)けど、当時は服装が今より厳格だったから相当、恥ずかしい思いをしたのでしょうね。

下巻で一番印象的だったのが、のちに妻になるヘレン嬢とのデート。
仕事中は問題なかったのに、なぜか私人としてお出かけするとひどい目にあってしまいます。
まず、ダンスをしようとおしゃれなホテルへ出かけるのですが、運悪くその夜は開催されず。気を取り直して食事をしようとしたら、服装があまりにも時代遅れなのにたじたじ。しかもホテルの宿泊客じゃないものだから、給仕に粗末に扱われ……というダメぶり。そのまえに、車で出かけて、運悪く水浸しの道路のおかげで服も濡れてしまい、ヘレンの父親から借りた靴が、これまた時代遅れすぎという情けなさ。
その後、彼女とは気まずくなってしまって、さよなら……かと、読み手をはらはらさせながら、つぎは映画館へ。
その日もまた運悪く、酔っぱらいがふたりの横に座ってしまって、意味もなくぼかぼかと殴られてしまう、運のないヘリオット先生。あまりの情けなさにまただめかと思ったら、ヘレンにはおかしすぎたようで、その後は順調に結婚への道に進みます。
仕事中のかっこよさとのギャップがあまりにも大きいから、かえって親しみが持てる先生のキャラクターが本当にすばらしいです。しかも計算じゃなく、自伝なんだから身近にいたらだれもが好きになってしまうんだろうな、と思わずにいられませんでした。

ほかにも数えきれないほど面白く、ときにはしんみりとするお話がいっぱいです。
仕事は抜群なのに、性格がいい加減なファーノン先生や、典型的なお調子者トリスタン、そして超堅物なオールドミス・ハーボルト嬢といった周囲の人たちも個性的で愉快すぎでした。

残念なのが、その後の話が絶版なこと。第二話、第三話は入手不可で、第四話は別の出版社から出ているようです。版権がそれぞれちがうせいか、シリーズすべて揃わないのが悲しすぎる。こういうとき電子書籍だったらなあ、といつも歯がゆくてたまらない。それぐらいお気に入りの作品です。
上下巻。

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