褐色の文豪



褐色の文豪 (文春文庫)

父のデュマ将軍を主人公にした「黒い悪魔」以上に、こちらが面白かった! 主人公である2世デュマは作家になりたかったというより、父を超えた大将軍になりたかったようです。
だからでしょうか、やることなすことが桁外れに豪快で、文学の力で父の武勲のように手柄を立てていきます。もし時代が戦争ばかりだったら、文豪デュマは生まれなかったはず。
プロローグはそれを象徴するように、失脚するナポレオンを目撃し、絶望するデュマ少年の姿から始まります。

しかしどれだけ成功しても「何かが違う」と常に疑問をいだいていたため、7月革命が始まると率先して武器を手に革命に参加。が、自負していたほどの活躍ができず、文豪として扱われてしまうのに落胆します。
その後、ダルタニャンの書物との出会いで傑作が生まれ、さらに劇場も運営して大成功を収めます。でも、2月革命が始めると、今度は議員に立候補するも落選。父のように国を動かす英雄になれない現実にまたも落胆し、それからは人生が転落していくのです。
老年になってもまだデュマ将軍を追いかけることを辞められず、宿命のようにイタリア統一運動に参戦。が、またまたそこでもしくじってしまい、意気消沈のうちに世を去ります。

なぜ父の影響から逃れられなかったのかといえば、おそらく三才で父をなくしたため、周囲から聞かされた昔話しが英雄物語へと昇華していったためでしょう。理想の父を脳内につくりあげ、それを誇りにしていた。だから父のように黒人の血を引いていることも誇らしかったし(デュマ将軍は差別に苦しんでいた)、ナポレオンに不当な扱いを母子が受けてもまったくへこみません。
その天性ともいえる前向きさが文豪デュマの魅力であり、欠点でもありました。有名になってお金が入るようになると、何人も愛人をこさえ、私生児もたくさん生まれます。知人が屋敷に来たら好きなだけ滞在させ、食事も自由でした。
それが晩年、あだとなってしまい、お金の管理ができないものだから、収入が減っても浪費をやめず借金。そして破産、海外逃亡。そのツケを払う羽目に陥ったのが、息子のデュマ・フィスでした。腹違いの弟妹たちの面倒をみていたほど、人格者だったようです。父に似ず、真面目。そのぶん、文学方面では成功はしても、父ほどではなかったけども。

大デュマ――天才肌の文豪ってそういうものなのでしょうね。理屈で書いてなくて、技術を超えた何かを持っている。だから大衆に受け入れられた。面白さとは何かを、直感で知っているというか。
ただ、すべて自分で書いていたわけではなく、大量生産するために弟子というか、共同執筆という形を取っていました。あの名作、三銃士の主人公、ダルタニャンは実在した人物。その回想録をもとにして、歴史に詳しい共同執筆者にまず、話を書かせる。それを下書きにして、次はデュマが文章を「面白く」するために修正していく。およそ2割増し。

そうしたら不思議なことに、つまらなかった歴史小説が、がらりと大傑作に変るのです。
何が何でも作家になりたくてたまらなかった、文学青年だったら、そんなこと思いつかないし、他人の作品に手を入れるだけという作業は抵抗ありそう。
文学に執着しなかった文豪だから成せた執筆方法でしょう。ただ、下書きする執筆者が変わると、話が以前ほど面白くなくなってしまったので、原作者(?)もストーリーテラーの才能はあったようです。文章力がなかったのが売れなかった理由かも。

というわけで、小説書きさんにもおすすめの作品です。かの文豪が……と、目から鱗だった(笑)
あとさきに「黒い悪魔」を読んでいたら、伏線がいくつか生きているもわかってさらに楽しめます。

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