ドクター・ヘリオットの素晴らしい人生


ドクター・ヘリオットの素晴らしい人生 (上) (ドクター・ヘリオットの素晴らしい人生) (集英社文庫)

ヘリオット先生ことアルフ・ワイト氏の生涯を綴ったノンフィクション。これを読めばどの部分が本当のできごとで、どの設定が創作なのかがわかります。
実際にあったできごとを面白くエピソードにまとめて、一冊の本にしていたよう。ただ設定をいろいろ変えていて、できるだけモデルになった人のプライバシーを守ろうとされていた――はずだけど、あまりにも個性的だから読んだ本人だけでなく、周囲のだれもがすぐに見破ったという。性別を変えていてもそれは同じ(笑

名前は違いますが、気まぐれな獣医パートナーのシーグフリードと、その弟の陽気なトリスタンは本当に一緒に働いている同僚であり友人でした。そのモデルとなった兄のドナルド・シンクレア氏は誇張するどころか、実際はさらにエキセントリックで、「自分はこんな滑稽な人物ではない」と心底思っていたらしく、一度、ワイト氏と揉めたエピソードに驚き。
大人げないと周囲はたしなめるものの、それ以来、ヘリオットもののシーグフリードからエキセントリックさが消えてしまって、読者から苦情があったほど。それでも友情が壊れるのをためらったワイト氏は、二度と気まぐれシーグフリードを登場させませんでした。
へえ、そんな裏話があったのか! だから初期の作品であれだけ登場したシーグフリード先生が、後期でぱたりと姿を出さなくなったとは……(汗

若い助手たちがやってきてもすぐやめてしまうのも、ドナルド氏が「パートナーにしない」と宣言しているためで、エキセントリックな経営者らしいエピソードです。
そのぶん、作品以上にワイト氏の負担が大きく、夜間診療はほとんど請け負っていたとか。それでいて雇われの身だから、給料はずっと少なく、ついに不満がたまって談判するエピソードもありました。
そんな同僚に振り回されながらも、真摯で真面目なワイト氏はドナルド氏を決して嫌わず、ずっと友情を結んでいたのもすごいです。短所はあるけど、だれからも愛されるような長所も持っていた人物。それと、ワイト氏が温かい人柄だった証もあるでしょう。とにかく温厚で、真面目で友人もたくさんいました。
文学の素養がかなりあって、テニスで代表選手に選ばれるほどの運動神経もありました。何でもできるすごい人。ただし数字にはめっぽう弱く、数学がいつも落第寸前だったのが微笑ましかったです。完璧じゃないのがいい(笑

あとトリスタンである弟ブライアンもそのまんまなのも笑った。ただ彼は作品では女性好きとあるけど、実際は兄ドナルドがそうだったみたいです。落第したのは同じ。勉強が嫌いというより、兄の診療所を手伝っていたから勉強するひまがなかったのが原因。卒業するのに十年以上もかかったとは!それだけ個性的な人物だったというシーグフリード先生(笑

ほかには両親の結婚から始まって幼少時代すごしたグラスゴーでの日々、そして獣医科大学に入ってぎりぎりの成績を修めて、故郷で助手として働き始めたこと。意外にもワイト氏はすぐにシーグフリード先生のところに行かず、半年ほど別の診療所で働いていました。忙しいのもあったけど、持病の痔が悪化してしまい、空気のきれいなヨークシャーへ転職したのが、作品の始まりとなっています。

やがて美しい妻ジョアンと結婚――作品ではヘレンですが、実際は彼女の家は貧しくて、ワイト氏は母親から猛反対されてしまいます。結婚式も出てくれなかったほど。やがて空軍へ入隊して傷病兵として除隊したのち、息子と娘が生まれたのをきっかけに仲直りしました。
その後は、多忙で充実した獣医生活を送りつつ、小説を書いてみたものの、なかなか色よい返事がもらえず、落ちこんでしまいます。
面白いのは当時のイギリスでも、作家になるためのハウツー本があったこと。日本とちがって版権代理人制度を利用して、ついに出版までこぎつけたときは、家族中感激の嵐。200ポンドの前金でも、貯金が20ポンドなかったというんだから、それはもうありがたかったとか。その後、新聞に連載されたことで、うなぎのぼりに人気が出て、気がつけば世界中で翻訳されるほどの有名作品になりました。

ただ有名になりすぎてしまい、アメリカからたくさんのファンたちが診療所に訪れるのはもちろん、TV出演等マスコミに露出することで疲れてしまったワイト氏は、晩年、隠れるようにして引っ越してしまいます。お金があっても贅沢はせず、ひとりの獣医としての人生をまっとうしたことに感銘を受けました。
同時代のベストセラー作家たちはみな、税金逃れのために海外に住んでいたというのに、真面目に残っていたのは氏だけだったほど。(労働党が政権を握ったとたん、富裕層の税金が80%というのもイギリスらしいけども)

一生を書いたものだから、当然のように晩年もありました。最後はガンとの闘病でした。でも愛する家族や友人たちに囲まれていたから、とても幸せな晩年だったでしょう。氏の人柄が偲ばれるように、大勢の友人や知人たちが死を悼みました。
その数年前に弟ブライアン氏が病死しており、残ったドナルド氏の最期がとても痛ましかったのが、なんとも言えない読後感でした。せめて奥さんが生きていたらな、と。生涯の友人、ワイト氏が亡くなった喪失感に耐えられなかったようです。三人のなかで一番年上だったのに、最後まで長生きしてしまった者の悲劇としかいいようがありません。
上下巻。

コメント

このブログの人気の投稿

萩尾望都氏と竹宮恵子氏の確執(?)暴露本を読んだ